長いトンネルの先に見つけた「新しい希望」〜自己卵治療から卵子提供へ、うみさんの7年間の軌跡〜

ARTICLE

2026.03.02

患者の声

不妊治療体験談│長いトンネルの先に見つけた「新しい希望」〜自己卵治療から卵子提供へ、うみさんの7年間の軌跡〜

不妊治療という道のりは、時に予想もしない方向へと私たちを導きます。44歳のうみさんは、約5年にわたる自己卵での過酷な治療、そして特別養子縁組の検討を経て、現在は卵子提供という道で新しい命を授かりました 。夫との温度差、流産、そして「自分の遺伝子を残せない」という葛藤。それらを乗り越え、彼女がいま見つめている景色とは 。

夫婦の温度差と、孤独な闘いの始まり


――妊活の始まりは、疾患との向き合いからだったそうですね。

はい。もともと子宮内膜症でピルを服用していたので、結婚が決まると同時にピルをやめて妊活をスタートしました 。結婚直前には、医師の勧めで子宮内膜症と子宮筋腫の手術も受けています 。当時はまだ知識も乏しく、「手術した病院でそのまま治療もできるから」と言われるままに、自然に授かればいいなという穏やかな気持ちで始まりました。

――しかし、治療が進むにつれてご主人との間に「温度差」を感じるようになったとか。

それが一番辛かったです 。夫は「子どもは授かりもの」という考えで、お金をかけてまで治療をすることに抵抗がありました。「邪魔はしないが反対もしない、お金も出さない」という条件でようやく病院へ来てくれるような状態だったんです。

私は一人で知識を詰め込み、高額な費用を工面し、通院のために予定を調整する日々。友達と遊びにくくなり、ストレスでした。一方で夫はヘビースモーカーで飲み歩き…… 。当時は「どうして私だけがこんなに頑張っているの?」と、孤独感とストレスで夫との喧嘩も絶えませんでした。

26回の採卵と、繰り返される「化学流産」の果てに

流産


――自己卵での治療では、26回もの採卵を経験されたと伺い、その壮絶さに言葉を失います。

最初の体外受精で妊娠できたのですが、染色体異常で流産してしまいました 。その後は手術の影響かAMHが低く、卵がなかなか採れなくなって…… 。転院を5回繰り返し、保険を使い切るまで、合計26回の採卵と6回の移植を行いました 。着床はするけれど育たない「化学流産」が続き、精神的にも体力的にも限界に近い状態でした 。

「特別養子縁組」の検討と、断念という苦い経験


――そんな中、特別養子縁組や卵子提供という選択肢が浮上してきたのですね。

2021年頃、どん底にいた私に夫が「養子でもいいよ」と言ってくれたんです 。二人で説明会へ行き、東京都の特別養子縁組に申し込みましたが、親族の承諾が得られず断念せざるを得ませんでした 。

その後、「妊活研究会」(現在は「妊活の歩み方」)を通じて「卵子提供」という選択肢を知りました 。「私の遺伝子は残せないけれど、夫の遺伝子を残し、自分で産むことができる」。その事実に、最後の一筋の光が見えた気がしました 。

「自分の卵子」への執着を手放し、卵子提供という光へ


――「自分の卵子」を諦めるという決断には、大きな葛藤があったのではないでしょうか。

正直、とても悲しかったです 。亡くなった母に私の面影がある孫を見せたかったという思いもありましたし、「一生、自分の本当の子を持てない」という寂しさは、今も完全には消えません 。

でも、夫から「自己卵か卵子提供か、どちらか一つに絞るべきだ」と背中を押され、保険を使い切ったタイミングで切り替える決断ができました 。悲しみの一方で、「まだ産める可能性がある」という新しい希望が、私を支えてくれました 。

――卵子提供を受けて、どんなお気持ちで治療を進めてきましたか?

はじめは「若い卵子ならきっと」という大きな期待を抱いていました。しかし実際には、悪質なエージェントからAMH0.3の低いドナーを紹介されてしまい、多額の費用をかけたにもかかわらず、採れた卵子はわずか3個。受精卵は2個、3日目初期胚を2個移植して陰性で……困難が続きました。

その経験を重ねるうちに、過度な期待は持たず、感情を大きく揺らさないように、淡々と通院して治療を進めるようになっていきました。その感覚は、自己卵で治療していた頃とよく似ていたと思います。

そして最終的に、アジアのクリニックで提供された20代の日本人ドナーの卵子を使い、3回目の移植で妊娠することができました。今、お腹の中でその命はすくすくと育ってくれています。

いま、暗闇の中にいるあなたへ伝えたいこと


――今、同じように出口の見えないトンネルの中にいる方へ伝えたいことはありますか?

当時は夫が非協力的だと責めてばかりいましたが、今振り返れば、彼なりにサプリを飲んだり病院に来てくれたりと、歩み寄ってくれていた部分もあったのだと気づきました 。もっと早くその感謝を伝えられていたら、あんなに苦しまずに済んだかもしれません 。

また、私は仕事を続けていたことが救いになりました。忙しさに救われ、治療だけに気持ちが振り回されずに済んだからです 。もし今、一人で抱え込んでいるなら、自分へのご褒美を忘れず、時には「妊活研究会」(現在は「妊活の歩み方」)のような、同じ痛みを知る仲間がいる場所を頼ってみてください。少しだけ、心が軽くなるはずです 。



26回の採卵という過酷な経験を経て、卵子提供で母になる道を選んだうみさん。その穏やかな笑顔の裏には、人知れず流した涙と、それを乗り越えた強さがありました 。「私たちは家族になれる」。うみさんの物語は、今まさに暗闇の中で立ち止まっている人たちに、温かな光を届けてくれるはずです 。

本日お話をおうかがいした方

うみさん

うみさん(44歳) 2017年、36歳での結婚を機に不妊治療を開始。子宮内膜症や子宮筋腫の手術を経て、自己卵による体外受精へステップアップ。5回の転院と26回に及ぶ採卵、6回の移植を経験する。精神的・肉体的な限界、そして特別養子縁組の検討・断念を経て、卵子提供という道を選択。現在はドナーからの提供を受け、待望の第一子を妊娠中。

RELATED ARTICLEおすすめ関連記事

RANKING⼈気記事

KEYWORDキーワード検索

ALL TAGSタグ一覧人気のタグ

CATEGORY

会員限定記事

会員限定の記事です。
ログインしてからご覧ください。会員登録は無料です。