【不妊治療体験談】子供は授からなかった。でも、今が一番幸せです(50歳・仮名:なつさん)
ARTICLE
妊活お役立ち情報
目次
「もう少し頑張れば、もしかしたら——」
不妊治療を続ける中で、そんな思いを抱いたことがある方も多いかもしれません。
けれど、その道の先にあるのは「授かる」だけではなく、自分自身と向き合いながら見つける“それぞれの答え”です。
今回は、50歳のなつさん(仮名)が、不妊治療を終えるまでの心の軌跡と、今だから話せる思いを語ってくださいました。
妊活のスタートと、夫婦の葛藤

43歳で結婚してから、妊活を意識し始めるまでには、約1年半の時間がかかりました。 夫は再婚で、すでに子どもがいたため、「もう一度、新しい命を迎えるかどうか」というテーマには、慎重で時間が必要だったのです。
何度も話し合いを重ねましたが、意見がぶつかるたびに喧嘩になり、「それなら離婚する」と私が口にしてしまうほど、苦しい時期もありました。
それでも、最終的に「やっぱり二人の子どもがほしい」という気持ちで一致し、いざ妊活を始めると決めてからは、私の年齢(当時の年齢、44歳8か月)を考慮して、時間を無駄にしないようすぐに不妊治療の門を叩きました。
義理の妹が体外受精で授かっていたこともあり、「私にもできるかもしれない」という気持ちで治療を始めることができました。
最初に選んだクリニックは「杉山産婦人科」。以前、大手町に通勤していた頃からその存在を知っており、自然とそこを選びました。
不妊治療。希望に満ちた、体外受精からのスタート

治療方針は、年齢を考えて「最初から体外受精」を選択しました。
治療が始まった時の気持ちは、今でもよく覚えています。とにかく「希望に満ちて」いました。義理の妹の成功体験も聞いていましたし、何より「高額な治療を受ければ、きっと妊娠できる」と信じて疑わなかったのです。
不妊治療の辛さよりも、人間関係の悩みがあった

治療そのものについて、世間で言われるような「辛さ」は、私はあまり感じませんでした。
というのも、当時の私は仕事や人間関係の方で悩みを抱えており、そちらの方が精神的にきつかったのです。また、私の場合は採卵できてもいつも1、2個でした。20個、30個と採卵する方々が経験されるような痛みもさほどありませんでした。
強いて辛かったことを挙げるなら、夫への「申し訳なさ」です。
高額な費用がかかる中、夫はいつもクリニックに付き添ってくれました。それなのに、なかなか結果が出ない。結果が出ない中でも支えてくれる夫に、感謝の気持ちと同時に、どこか申し訳なさを感じていました。
それほどまでに、夫婦で一緒に歩む時間が真剣で、大切なものだったのだと思います。
治療中、忘れられない出来事があります。
ある日、友人から「なんで卵子凍結しておかなかったの? みんな言ってるよ」と言われました。
その言葉には、どこか優越感のような響きがあり、必死に頑張っていた私の心に深く突き刺さりました。
過去は変えられません。それなのに、今を懸命に生きている人に向けて放たれたその一言が、どれほど心を傷つけるものか――そのとき強く実感しました。
そして私は決めました。自分を大切にできない関係、自分の努力を否定されるような関係とは、もう無理に付き合わないと。不妊治療中は、心の安定こそが何より大切です。
自分を追い詰めるような人間関係を手放したことで、今の私は本当にあたたかい人たちに囲まれています。妊娠という結果には結びつかなかったけれど、人との関係を見直したあの決断が、私の人生を軽やかにしてくれました。
治療を通じて手に入れた、かけがえのないもの

治療中は、病院での治療と並行して、さまざまなことに取り組みました。鍼灸整体院、サプリメント、漢方、ピラティス、ヨガ、お灸教室、ハーブ教室……。
振り返ってみると、この期間は「不妊治療」という枠を超えて、私自身が大きく変わるきっかけとなりました。
- ・アルコール依存レベルだったお酒をやめられたこと。
- ・栄養学や東洋医学を勉強・実践し、今が人生で一番体調が良いこと。
- ・「卵子は寝ている間の成長ホルモンが出ている時に育つ」と知り、睡眠を研究した結果、子供の頃から苦手だった睡眠が上手になりました。今ではぐっすり眠れ、昼間のパフォーマンスが上がり、仕事への意欲も高まっています。
- ・自律神経が整い、血糖値の乱高下もなくなったことで、メンタルも非常に安定しました。
- ・治療中の心を癒すために飼い始めた犬が、まるで我が子のように愛おしく、子供を育てている気分を味わえています。
不妊治療で「こうすれば良かった」と思うこと

もちろん、後悔や反省がなかったわけではありません。
・もっと早くに治療を開始したかった。
・数回(体外受精を)やってダメだったら、すぐにクリニックを変えれば良かった。
当時は、アドバイスを受けるたびに迷いが生まれ、結果的に治療方針がぶれてしまったこともありました。今振り返ると、“自分の軸で判断すること”の大切さを学んだ経験だったと思います。
不妊治療の終わりと、今の穏やかな日々

私が歩んだ、4つのクリニックの道のり
私の治療歴は、4つのクリニックを渡り歩いた道のりでした。
最初の「杉山産婦人科」には2ヶ月在籍しましたが、当時、医師から「年齢的にも2、3回やってダメだったら諦めたら?」と言われた言葉がショックで転院を決めました。今振り返れば、患者のことを思っての発言だったのかもしれませんが、当時は受け止めきれませんでした。
2院目の「両角レディースクリニック」には1年3ヶ月在籍し、採卵11回、移植3回と、ひたすら高刺激の方針で治療に臨みました。DuoStim(デュオスティム法)を提案され、腹腔鏡手術も受けましたが、私にとっては結果に繋がりませんでした。非常に多くの患者さんを抱えているクリニックだったためか、採卵の合間に診察が行われるような慌ただしい環境で、医師が目の前の患者(私)の状況を把握しきれていないのでは、と感じる瞬間もありました。
続く3院目の「リプロダクションクリニック東京」は高額で治療だけしかしない冷たいイメージですが、それとは違って、ブログで有名なゴットと呼ばれる医師に治療していただくことが出来き、結果も良かったこと。
リプロダクションクリニック東京の公式ブログを書いている医師はとても患者の立場に立って考えてくれて、私達が言葉にできない想いをブログに綴ってくれています。待ち時間も少なく、最先端のチームで組織が形成されている印象でした。
そして最後の4院目となった「目黒レディースクリニック」には1年8ヶ月在籍しました。採卵は4回、移植は3院目のリプロダクションクリニック東京で凍結した卵を使って1回行いました。ここではPRP療法を集中的に試しました。
リプロダクションクリニック東京ではPFC-FD(フリーズドライ)を試した経験がありましたが、こちらでは生のPRPを4回実施しました。確かにPRPを打てば採卵はできたのですが、凍結できるグレードの卵にはならず、お金だけが飛んでいく感覚でした。PRPを続けることで一時的に反応は見られましたが、その後は思うような結果に繋がらず、身体の限界を少しずつ感じ始めていました。
目黒レディースクリニックの医師は本当に親身になってくださる方で、説明も非常に丁寧でした。ホルモン値から私の卵巣の状態を細かく把握し、ホルモン補充をしたり、あえてやめてみたり、LHサージ(黄体形成ホルモンの急上昇)が早く起こらないよう丁寧に薬を処方してくださったりと、懸命に治療方針を考えてくれました。
注射を多用するため治療費は高額になりましたが、患者一人ひとりに丁寧に向き合う姿勢は、利益よりも人助けを優先するという、真摯な医師の姿そのものでした。
治療のやめどきには長い葛藤が

治療のやめどきについては、実は長い葛藤がありました。治療を始めたのが44歳8ヶ月と遅かったこともあり、当初は「46歳の誕生日でやめよう」と決めていたのです。ですが、いざ46歳の誕生日を迎えた時点では凍結胚が残っており、移植期でした。
最後の移植を終えたのが誕生日の翌月だったのですが、そこから「リプロダクションクリニック東京」でも試したい」「目黒レディースクリニックでも試したい」という気持ちが湧いてきたのです。
治療を続けていると、「次こそは妊娠するのでは?」「良い卵が取れるのでは?」という期待が、やめどきを分からなくさせていきました。特に採卵をしたあとは、次こそは!と、どこかギャンブルのような高揚感もありました。
そんな中、夫は『ここまで頑張ったのだから、もう少し続けてみよう』と背中を押してくれました。その気持ちがありがたく、私も“もう少しだけ”とその気持ちに甘えて治療を続けました。
通っていたクリニックのひとつ(目黒レディースクリニック)では、終結時期を見失わないよう、あらかじめ夫婦で話し合うことや、卵子提供、特別養子縁組なども推奨していましたが、当時の私はなかなか決断できずにいました。
最終的なきっかけは、心境の変化でした。ちょうどその頃リモートで始めた仕事にやり甲斐を感じられるようになり、簿記の資格を取得するなど、不妊治療で落ち込んでいた自己肯定感が回復し、自己効力感を感じられるようになってきたのです。「子どもを授かることだけが夢や目標だった頃」とは、明らかに心境が変わってきました。
「私が終結を言い出さないと、夫は一生続けさせてくれるだろう」と思い始めたタイミングで、卵子がだんだん取れなくなり、PRP(多血小板血漿)療法などを試しても、凍結できるグレードの卵子にならなくなった時、身体的なリミットと心の準備が重なり、それが治療の終結となりました。
治療を終えた今、どんな気持ちで過ごしているか。

正直に言うと、「気楽で、楽しく」過ごせています。ちょうど更年期も始まり、もし今から子育てが始まっていたら体力的に大変だっただろうと思いますし、経済的にも老後の資金だけを考えれば良いという安堵感もあります。
でも、ふと寂しくなる瞬間があるのも事実です。
「本当は授かりたかった」。その気持ちを抑え、「でも、今のこの幸せを信じよう」と自分に言い聞かせている部分もあります。
自分の子をこの手で抱くことはありませんでしたが、幸い、夫の娘が結婚し、両親顔合わせに「身内」として参加し、相手の母親とも交流をしています。また、娘夫婦が家を買う時は「建設会社はどこか?耐震性は良いのか」と、我が子のように気を揉む心境になり、親のような気持ちを味わうことができました。これからもし、その娘が子供を産んだら、代わりに子育てできるかな?と、新たな楽しみもできています。
これからもし、その娘が子供を産んだら、代わりに子育てできるかな?と、新たな楽しみもできています。
これから不妊治療を始める方へ

もし、これから妊活や不妊治療を始める方にお伝えできることがあるとすれば・・・・ 「どうか、自分主導で治療を進めてほしい」ということです。
周囲の意見や結果に振り回されるのではなく、自分が納得のいくまでやり切ること。 それが、後悔しないために一番大切だと思います。
そのためには、まず正しい知識を身につけること。 そして、信頼できる情報源を活用したり、同じ経験を持つ仲間とつながったりして、支え合える環境をつくってほしいと思います。
不妊治療は、私にとって「自分の体と本気で向き合う」きっかけでした。 それまでの私は、いつも自分のことを後回しにして生きてきたように思います。 けれど治療を通して、体を大切にすること、心の声を聞くことの大切さを知りました。
もしあのとき治療をしていなかったら、今の健康な体も、前向きな心もなかったでしょう。 そして何より、夫婦で「子どもを授かる」という同じ目標に向かって努力した時間が、私たちの絆を何倍にも深めてくれました。
結果として子どもは授かりませんでしたが、あの時間は私たちにとってかけがえのない“必要なステップ”だったと感じています。
今、私の周りには、健康な体と、穏やかな心と、深まった夫婦の絆、そして我が子のように大切な愛犬がいます。 今が、人生でいちばん幸せです。
とはいえ、今でも時折、寂しさや「少子化に貢献できていない」という後ろめたさを感じることがあります。 「自分には価値がないのでは」と思ってしまう瞬間も、正直あります。
けれど、そんな気持ちを抱えたままの自分だからこそできることがあると感じ、 今はインスタグラムで不妊治療に悩む方の相談を受けたり、情報を発信したりしています。 ▶https://www.instagram.com/natsu5.happy/
DMで寄せられる言葉のひとつひとつに、あの頃の自分を重ねながら、 “誰かの支えになれる”という新しい生きがいを見つけつつあります。
不妊治療中は「妊娠」という明確なゴールがありました。
今は、その先にある“つながり”や“支え合い”を大切にしながら、自分なりの目標を探しています。
「結果がどうであっても、努力した時間は必ず自分を成長させてくれる。あの経験があったからこそ、今の私があると思えるようになりました」不妊治療の先にあるのは、「終わり」ではなく、「新しい生き方のはじまり」。
その姿は、今まさに治療を続けている人にとっても、希望の光になるのではないでしょうか。
なつさんのお話は、不妊治療が単に「妊娠するか、しないか」ではなく、 その過程を通して“自分自身と深く向き合う時間”であることを教えてくれます。「授からなかった」という事実の奥に、 人生を見つめ直し、心の豊かさを得た一人の女性の物語がありました。
貴重なお話を、ありがとうございました。
※個人による感想・受け止め方です。全ての方に当てはまるわけではありません。
本日お話をおうかがいした方
50歳女性 なつさん(仮名)
43歳で夫と結婚 。44歳8か月から不妊治療を開始し 、4つのクリニックを経験 。体外受精やPRP療法 などに取り組んだ。結果として子どもは授からなかったが、治療を通じて体質改善や夫との絆が深まるなど、多くのものを得た 。現在は治療を終え、仕事や愛犬との生活に幸せを感じながら、自身の経験を発信している。

RANKING⼈気記事
KEYWORDキーワード検索
ALL TAGSタグ一覧人気のタグ
CATEGORY
会員限定記事
会員限定の記事です。
ログインしてからご覧ください。会員登録は無料です。